■ 犬山城(愛知県)2006.11.24

国宝です。現存天守閣で唯一個人所有のお城です。
ここの天守台からの岐阜への眺めは素晴らしいです。

別名を白帝城といい、三国志の劉備が臨終を迎えたことで有名な白帝城にちなみ、荻生徂徠が命名したと伝えられる。白帝城が長江沿いにあるように、犬山城も木曽川沿いにあることがその別名の由来である。

織田信康によって、天文6年(1537年)現在の位置に天守が造営され、豊臣時代には石川備前守が城主となったが、関ヶ原の戦いで西軍に属したことによって没落した。元和3年(1617年)に成瀬正成が城主になり、唐破風が増築される。 以後徳川時代を通じて成瀬家9代の居城となった。

明治の廃藩置県で廃城となったが、明治24年(1891年)の濃尾地震で天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、明治28年(1895年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。

日本で唯一の個人所有の城であったが、平成16年(2004年)4月から財団法人「犬山城白帝文庫」に移管されている。

戦国時代の天守が現存しており、昭和10年(1935年)に国宝保存法に基づき当時の国宝(旧国宝)に指定、昭和27年(1952年)には文化財保護法に基づき、あらためて国宝(新国宝)に指定されている。

また廃藩置県の際、地元の寺院等に払い下げられた門・櫓が現存する。


CGI-design