■ 松山城(愛媛県)2007.1.10

1602年(慶長7年)、加藤嘉明(賤ヶ岳の七本槍の一人)により築城開始。なお、加藤嘉明はこの時を持ってこの地を「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕生した。

その後、蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)、松平定行に代わり、松平定行以後、松山藩は松平家の所領となり明治維新を迎える。

築城当時の天守は5層であったが、後に3層に改築されている。(これには多くの説があるが、基礎が弱いため3層に改築されたとされている)

全国的にも珍しい戦略的に意味がない天神櫓がある。天神櫓には久松家の祖先とされる菅原道真が祀ってある。艮の方角に位置し、祖先の霊廟であるとともに城の守護神としての意味が与えられていたと思われる。

天守は1784年(天明4年)に落雷により焼失。幕末の1854年(安政元年)時の藩主・松平勝善により再建。その後は1873年(明治6年)の廃城令による破却に遭わなかったが、また昭和に入り放火・空襲による焼失が2回あったが、戦後の昭和40年代に復元され現在に至る。1935年(昭和10年)に国の重要文化財(城郭)に指定されている。1952年(昭和27年)には国の史跡に指定された。


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