■ 篠山城(京都府)2006.11.24

1609年(慶長14年)徳川家康は、実子松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、新城の築城を命じる。これは、山陰道の要衝である篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとする理由とされる。

篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、普請総奉行に池田輝政、縄張に藤堂高虎を配し、15カ国20の大名の夫役による天下普請として6ヶ月で完成した。

以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えた。明治維新後、城郭の遺構は大書院を残してほとんどが取り壊された。取り壊しから免れた大書院も1944年(昭和19年)1月6日に失火により焼失している。

馬出の遺構がよく遺っており、1956年(昭和31年)12月28日国の史跡に指定された。

現在、城周辺の整備がすすめられており、2000年(平成12年)4月には大書院が復元された。大書院は一般公開されている。


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