■ 大垣城(岐阜県)2006.11.24

最盛期には4重4階の天守と四重の堀を持つ堅牢な構造をしていた。現在では復刻天守が建てられ、内部は関ヶ原の戦い等に関する資料館となっている。

1500年(明応9年)に竹腰尚綱によって築城されたとされている。織田氏、斎藤氏と支配権が移った後、1583年(天正11年)に豊臣秀吉の家臣、池田恒興が城主となる。その後1596年(慶長元年)に伊藤祐盛が天守を造営した。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際には石田三成が入城し、合戦に備えた。その後東軍により落城。そのときの逸話が『おあむ物語』として残っている。

江戸時代に入り、1635年(寛永12年)に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣藩戸田氏の居城となった。

明治に入っても破却を免れ、1936年(昭和11年)に天守等が国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)7月29日の空襲により天守が焼失した。現在の天守は1959年(昭和34年)に再建されたものである。


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