堺のふとん太鼓の歴史

堺の太鼓に関しては一般的には明治29年のだんじり騒動以降、堺市内ではだんじりの
曳行が出来なくなり、代わりにふとん太鼓を各神社の氏子が次々と新調して行き、その頃
から堺市内ではふとん太鼓が普及したと思われているのが一般的である。

堺における練物の歴史は古く、元禄元年よりと推定されています。
(※練物とは、地車、屋台、太鼓台、鉾等を表します)
また堺市内にもだんじりが有り、明治29年の地車騒動までは、旧堺市内の大祭は
名代の地車祭であり、勿論夏祭りでした。
明治中期、地車騒動以降に三日市町に売却された元新在家町の地車(現在の小塩)
元大甲濱の地車(現在の上田)にも、菊紋。巴紋(住吉大社御社紋)が刻まれている
事からや、それを伺い知る事が出来ます。

それではふとん太鼓は何時頃出現したのであろうか。
享保年間、志筑の某が堺住吉祭礼で見たと言う資料もあり、江戸中期には既に堺市内に
ふとん太鼓があったようです。
しかも住吉祭礼、すなわち夏祭りに出されていたのです。何ゆえふとんを積み重ねた形
なのかについては、今の所、はっきりとした起源等は判明していないのですが、時代に
ついてのみ考察すると江戸中期には、ふとん太鼓が旧堺市内に有ったとされていますが
残念ながら堺市内には、それについての記述や文書や写真等がいまだ発見されておらず
他府県や、他の市町村において「堺から購入した」「ふとん太鼓を見た」「図面を入手した」
等の記録が残っているようです。

例をあげますと、泉佐野の春日大社のふとん太鼓も堺製、藤井寺の産土神社の小山太鼓
も明治中期に堺から購入とされています。奈良県吉野蔵王堂付近の「ろ組の組三町組」の
三台のふとん太鼓も明治中期に堺より購入とされているようです。
製造のみ堺でされたのか、販売窓口で有ったのかは現在の所はっきりとはしておりません

明治29年の地車騒動以降、ふとん太鼓が出現したのではなく、運行されたかどうかは別と
して、それ以前から、すでに旧堺市内にはふとん太鼓が存在し、堺を発信基地として海路、
陸路を巡り、近畿、瀬戸内、遠くは九州にまでふとん太鼓が伝播されたのであろうと推測
されております。

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